カダフィ大佐アルが話す - 日本
カダフィ大佐アルが話す - 日本
Muammar Al Gaddafi speaks Japanese日本
敬愛なる指導者の国連総会における演説
2009年10月1日
アフリカ連合の名において、国連総会メンバーの皆さんにご挨拶したいと思います。私はこの会合が世界史上、最も歴史的な会合の1つになるよう願っています。
リビアが議長を務める第64回国連総会の名において、また、アフリカ連合、アフリカにある1000の伝統的王国、および私自身の名において、私はこの機会を利用し、アフリカ連合議長として、われわれの息子オバマに祝いを述べたいと思います。彼も今回総会に出席しており、われわれは彼を歓迎します。また、この総会は彼の国で行われています。
この会合は、われわれが多くの課題に直面している、その最中に開催されています。世界中が力を合わせ、団結して、われわれの最大の共通の敵である課題の克服に努力すべきです。その課題とは、気候変動、資本主義経済の低迷、食料や水の危機、砂漠化、テロ、移民、海賊行為、人為的および自然な病気の流行、それに核拡散です。H1N1インフルエンザは多分、研究所で作りだされたウイルスで、もともと軍事兵器として開発されたのに、手に負えなくなったのでしょう。他に偽善、貧困、恐怖、物質主義、背徳なども、こうした課題に含まれます。
ご承知のとおり、国際連合は、当時ドイツと敵対していた3カ国か4カ国によって創設されました。第二次大戦で共にドイツと戦った国々が結成したのです。この国々が安全保障理事会という機関を作り、自ら常任理事国となって拒否権を持ちました。われわれはそのとき、いませんでした。国連は、この3カ国の意に沿って形成され、もともとドイツのために作った型を、われわれにはめたいと欲しました。これが60年以上前に創設された当時の、国連の実体です。
これが起こったとき、165ほどの国々は不在でした。つまり1対8の割合です。出席した国1つにつき、出席していなかった国が8あったのです。彼らは国連憲章を作りました。私も1部持っています。国連憲章を読むと、前文と条文にズレがあることが分かります。どうして、こうなったのでしょう? 前文の作成には、1945年のサンフランシスコ会議出席国が皆、参加しました。しかし条文や、いわゆる安保理の手続きに関する内部規定は、専門家や関係国に任せられたのです。関係国とは、ドイツに対抗して団結し、安保理を設立した国々です。
前文は非常に感動的で、これに異議を唱える者はいません。しかしその後の条項はことごとく、前文と完全に矛盾しています。われわれは、このような条項を拒否し、今後も絶対に認めません。このような条項は、第二次大戦と共に終わったのです。前文は、すべての国は大小にかかわらず対等だ、と述べています。しかし常任理事国の座に関して、われわれは対等でしょうか? いいえ、対等ではありません。前文には、大国も小国もすべての国は対等だ、と明記されています。われわれには拒否権があるでしょうか? われわれは対等でしょうか? 前文は、大国も小国も対等な権利を持つ、と言っています。これが前文に書かれ、われわれが合意したことです。したがって、拒否権は憲章と矛盾します。常任理事国の存在も憲章と矛盾します。われわれは、拒否権を受け入れも認めもしません。
国連憲章前文は、共通の利益のため以外には武力を用いない、と述べています。これが、われわれが合意し、調印した前文です。われわれが国連に加盟したのは、憲章がそれを反映することを望んだからです。憲章は、すべての国の共通の利益のため以外には武力を使わない、と言っています。しかしその後、何が起こったでしょう? 国連や安保理の設立以来、65の戦争が勃発しました。65回の戦争で、第二次大戦より何百万人も多い犠牲者が出たのです。こうした戦争や、その中で行使された暴力や武力は、われわれの共通の利益にかなっていたでしょうか? いいえ、1カ国か3カ国か4カ国の利益であって、すべての国の利益ではありません。
これらの戦争が1国の利益のためだったか、すべての国の利益のためだったかは、のちほど話しますが、これは明らかに、われわれが調印した国連憲章と矛盾しています。そして、われわれが合意した国連憲章に従って行動しない限り、われわれはそれを拒否し、恐れることなく誰に対しても非外交的に話をしていきます。われわれは今、国連の未来について話しています。世界の未来というきわめて重要な問題がかかわっているのだから、偽善や外交辞令は抜きにすべきです。国連創設以来、65回の戦争を招いたのは偽善でした。
前文は、武力を用いるならそれは国連軍でなくてはならない、とも述べています。つまり国連加盟国の合意に基づいた国連による武力介入ということで、1カ国や2カ国や3カ国が武力を行使するということではありません。国連全体として、国際平和と安全を守るために、戦争を始める決断を下すのです。1945年の国連創設以来、ある国が他国に対する侵略的行為を行った場合は、国連全体でその行為を阻止することになっています。
ある国、たとえばリビアがフランスを侵略しようとしたと仮定しましょう。そうなれば、国連全体が反応するでしょう。フランスは国連に加盟している主権国家であり、われわれ皆には、すべての国の主権を守る共同責任があるからです。ところが65回の侵略的な戦争が起こり、国連はそれを防ぐための行動を何1つ取りませんでした。その他に8回の大規模な激しい戦争が、拒否権を持つ加盟国によって行われ、犠牲者は約200万人にのぼります。この国々は、自分たちは人民の主権と独立を守ろうとしているのだと、われわれに信じさせたがっていますが、実際は人民に対して暴力を行使しています。われわれも、この国々は世界の平和と安全のため、人民のために働いているのだと信じたいとは思いますが、彼らはそれどころか、侵略戦争や敵対的行為に訴えました。彼らは、安保理常任理事国として自らに与えた拒否権をいいことに、戦争を始めて何百万人も犠牲者を出したのです。
国連憲章には、内政不干渉の原則がうたわれています。したがって、いかなる国も、他国の政府に干渉する権利はありません。その政府が民主的であろうと独裁的であろうと、社会主義であろうと資本主義であろうと、反動的であろうと進歩的であろうとです。それは、それぞれの社会の責任で、その国の人民が決定すべき内政問題です。ローマの元老院は、彼らのリーダーだったユリウス・カエサルを独裁者(独裁官)に任命したことがあります。そのときのローマにとっては、それが良いことだったからです。しかし、当時のローマがカエサルに拒否権を与えたという話は聞きません。国連憲章には、拒否権についての記述はありません。
われわれが国連に加盟したのは、われわれは対等だと思ったからです。しかし実際には、われわれがどんな決定を下しても、1国だけで反対できると知りました。誰が常任理事国に、安保理での今の地位を与えたのでしょう? 4カ国は、自分で自分にその地位を与えました。総会で選出されて安保理常任理事国になったのは、中国だけです。これは民主的に行われましたが、その他の常任理事の座は、われわれの意に反して取られた独裁的な手続きを通じて、一方的に決められたものです。われわれは、これを受け入れるべきではありません。
われわれが必要としている安保理改革は、メンバーを増やすことではありません。それでは事態が悪化するだけです。俗な言い方をすれば、「水を加えれば泥が増える」のです。それでは泣きっ面に蜂です。現在の安保理メンバーに、さらに大国を加えるだけでは、事態は悪くなるでしょう。それでは大国が際限なく増えていくだけです。したがってわれわれは、常任理事国をこれ以上増やすことには反対です。常任理事国を増やすのは危険なことで、解決策になりません。これ以上大国が加われば、小さくて立場の弱い第三世界諸国 — 100カ国グループとも呼ばれます — の人民が圧殺されてしまいます。100カ国グループとは、100の小さな国々が力を合わせ、互いに話し合う場で、参加国の1つは“小国フォーラム”と呼びました。
これらの国は、安保理に大国が増えれば、大国に押し潰されてしまうでしょう。この扉は閉じなくてはなりません。われわれは断固反対します。安保理のメンバーを増やせば、世界的に貧困・不正・緊張が増加するだけではありません。イタリア、ドイツ、インドネシア、インド、パキスタン、フィリピン、日本、ブラジル、ナイジェリア、アルゼンチン、アルジェリア、リビア、エジプト、コンゴ民主共和国、南アフリカ、タンザニア、トルコ、イラン、ギリシャ、ウクライナなどの間で激しい競争を招くでしょう。こうした国々が皆、安保理理事国の座を求め、理事国の数は総会とあまり変わらないほど増えて、その結果、無理な競争が起こるでしょう。
では、どんな解決策があるでしょうか? 解決策は、国連総会が拘束力のある決議をすることです。トレキ氏のリーダーシップの下、総会メンバーの多数決に基づき、その他の者の思惑は考慮に入れないでです。解決策は、安保理にこれ以上、ほかの国を入れないことです。現在、トレキ氏を議長として行われている総会の議案の中に、この項目があります。連合を通じたメンバーシップと機能の委譲を、他の提案より優先すべきです。
われわれは、加盟国の平等という土台の上に民主主義を実現することに注力すべきです。加盟国は対等であるべきで、安保理の権限や機能は、総会に委譲すべきです。加入は国単位でなく、連合単位にすべきです。メンバー国の数を増やせば、国連憲章前文の精神に従って、すべての国に加盟権を与えることになります。
たとえば、もしドイツに安保理理事国の座を与えるなら、イタリアに対して拒否することはできません。仮定ですが、イタリアは、ドイツは第二次大戦に負けた侵略的な国だと言うかもしれません。もしインドに理事国の座を与えたら、パキスタンが、わが国も核保有国だから理事国になる権利がある、と言うでしょう。そして、この2国は戦争状態にあるのです。危険な状況になるでしょう。日本を理事国にするなら、世界最大のイスラム教国であるインドネシアも理事国にすべきです。そうなれば、トルコやイランやウクライナも同じことを要求するでしょう。アルゼンチンやブラジルに対しては、何と言えばいいでしょうか? リビアも、大量破壊兵器プログラムを放棄することで世界の安全に貢献しているのだから、理事国になって当然です。すると南アフリカやタンザニアやウクライナも、同じ要求をするでしょう。どれも重要な国々です。安保理加入への扉は閉ざすべきです。
このアプローチは欺瞞であり、イカサマであることが既に曝露されています。国連を改革したいのなら、大国を増やすのは正しいやり方ではありません。解決策は、世界議会である国連総会のレベルで民主主義を育成することです。安保理の権限は総会に委譲すべきです。安保理は単に総会の決定を実行する道具になり、総会が世界の立法議会、世界の国会になるのです。
この議会がわれわれの民主フォーラムであり、安保理はそれに対して責任を持つべきです。われわれは現状を受け入れるべきではありません。これらは国連加盟国の立法者であり、彼らの決議は拘束力を持つべきです。総会は、安保理の勧告を何でも実行すべきだと言われています。これは逆で、安保理が、総会の決めたことを何でもやるべきなのです。国際連合は、192の国の集まりです。たった15カ国で構成される安全保障理事会ではありません。
世界がたった5カ国に支配されているとしたら、われわれはどうして世界の平和と安全に満足できるでしょうか? われわれは192カ国ですが、ロンドンのハイドパークにあるスピーカーズ・コーナーのようなものです。話をするだけで、誰もわれわれの決定を実行しません。中身のない、ただの飾りです。われわれはスピーカーズ・コーナーであって、それ以上でもそれ以下でもありません。スピーチをして消えるだけ。これが今のわれわれです。
安保理が単に総会決議を執行する機関になれば、理事の椅子を争うこともなくなります。安保理が総会決議を実行する道具になれば、競争は必要なくなるのです。安保理はきわめて単純に、すべての国の代表であるべきです。総会に提出された提案に従えば、すべての諸国連合や国の集まりに常任理事の座が用意されるでしょう。
欧州連合27カ国で、安保理常任理事の座を1つ持つべきです。アフリカ連合の国々も、安保理常任理事の座を1つ持つべきです。ラテンアメリカ諸国やASEAN諸国も、常任理事の座を持つべきです。ロシア連邦とアメリカ合衆国は既に安保理の常任理事です。南部アフリカ開発共同体(SADC)も、完全に軌道に乗ったら常任理事の座を1つ持つべきです。アラブ連盟の22カ国も、イスラム諸国会議の57カ国も、118カ国の非同盟運動も、それぞれ1つ常任理事の座を持つべきです。
それに、G-100もあります。この小国の集まりも多分、常任理事の座を1つ持つべきでしょう。私が触れた連合に入っていない国々にも、半年ごとか1年ごとの交替制で、常任理事国の座を1つ割り当ててもいいかもしれません。私が想定しているのは、ASEANなどのメンバーでない日本やオーストラリアのような国や、欧州連合にも南米諸国連合にもアフリカ連合にも加入していないロシア連邦のような国です。総会で採択されれば、これが彼らにとって解決策になるでしょう。
これはきわめて重要な問題です。既に述べたとおり、国連総会は世界の国会、世界のリーダーです。われわれは加盟国であり、総会に入っていない国は認知されません。総会議長のアリ・アブドゥサラム・トレキ氏と潘基文(バン・ギムン)事務総長は、この提案を投票にかけるために正式な草案を作成し、必要な委員会を設置するでしょう。安保理は今後、諸国連合で構成することにする、という提案です。こうすれば正義と民主主義が手に入り、核兵器を所有しているからとか経済大国であるとか先進技術を持っているからとかいう理由で選ばれた国々からなる安保理はなくなります。そんな選び方はテロです。安保理を大国の好きにさせてはおけません。そんなことは、それ自体がテロです。
1つにまとまった安全で平和な世界を望むなら、これがわれわれのすべきことです。もし世界を戦争状態のままにしておきたいなら、それは皆さんの自由です。紛争はなくならず、われわれはこの世の終わりまで戦い続けることになるでしょう。新たな構成の安保理では、メンバーが皆、拒否権を持つか、さもなければ拒否権という概念自体をなくすべきです。それが本当の安全保障理事会というものです。総会に提出された新たな提案に従えば、新安保理は執行理事会として総会の監督下に置かれ、総会が本当の力を持って、すべてのルールを作ることになります。
そうなれば、総会と同じく安保理でも、すべての国が対等な立場になります。総会においては、メンバーシップと評決に関する限り、われわれは皆、平等に扱われています。安保理も同じであるべきですが、現在は、拒否権を持つ国と持たない国、常任理事国とそうでない国があります。われわれは、この状態も、現行の構成で安保理が採択したいかなる決議も、受け入れるべきではありません。われわれは以前、信託統治を受けていたり、植民地であったりしましたが、今は独立国です。われわれが今日ここにいるのは、民主的なやり方で世界の未来を決めるためです、民主的なやり方とは、大国・小国を問わずすべての国を対等に扱い、その平和と安全を守ることです。そうでないやり方はテロです。テロはアルカイダだけでなく、他のかたちを取ることもあるのです。
われわれを導くのは、総会の多数決のみであるべきです。総会が採決によって決定を下したら、その意向に従い、決定を実施すべきです。総会より上はありません。自分は総会より上だ、と言う者は、国連を去って我が道を行くべきです。民主主義は金持ちのものでも、権力者のものでも、テロリストのものでもありません。すべての国は対等であるべきで、また対等と見なされるべきです。
今の安保理は、常任理事国のための封建的な安全保障制度・政治制度で、常任理事国によって守られ、われわれの不利に利用されています。安全保障理事会ではなく、テロ理事会と呼ぶべきです。われわれの政治生活において、もし彼らが安保理をわれわれの不利に使う必要が生じたら、彼らは安保理に頼り、もしわれわれの不利に使う必要が生じなかったら、安保理を無視します。彼らが何らかの利益を求めたり、誰かを痛い目に遭わせたいときは、国連憲章を尊重し、礼賛します。彼らは憲章の第7章に着目し、それを貧しい国々の不利になるように使います。しかし、憲章に反することをしたいと思ったら、まるで憲章など存在しないかのように無視するでしょう。
安保理常任理事国の拒否権が力を持つ者に与えられているなら、それは不当なテロ行為であり、われわれは黙認すべきではありません。われわれは、このような不正と恐怖の陰で生きるべきではないのです。
大国はグローバルな利権を複雑化し、その利権を守るために拒否権を使います。たとえば安保理では、彼らは国連の力を利用して自分の利権を守り、第三世界を脅かして操っています。おかげで第三世界は恐怖におびえながら暮らしています。
そもそも1945年の発足時から、安保理は安全保障に失敗してきました。それどころか、テロ行為と制裁を行ってきたのです。安保理は、われわれの不利になるようにのみ利用されています。ですから、40周年を記念するこのスピーチが終わったら、われわれはもはや、安保理決議を履行する気はありません。
65回の戦争が勃発しました。小国同士の戦いもあれば、大国がわれわれに対して起した侵略戦争もありました。安保理は、明らかに国連憲章に違反して、小国や少数民に対するこれらの戦争や侵略行為を阻止する行動を怠ったのです。
今回の国連総会では、いくつもの歴史的な提案について採決することになります。われわれは、まとまって行動するか、分裂するかです。もし各国がそれぞれ総会や安保理などの機関を持ち、互いに対等な立場になれば、現在常任理事の座に就いている大国は — そのうち3、4カ国でしょうが — それぞれ自国の機関を使うしかなくなり、自分たちの不利に権利を行使せざるを得なくなります。それは、われわれには関係ないことです。
彼らが常任理事国の座を保持したいなら、それでも構いません。常任理事の座は、われわれには関係ないことです。われわれは決して彼らの支配や、彼らに与えられた拒否権の発動に屈しません。われわれは、大国に拒否権を与えて、われわれを二級市民や落ちこぼれ国のように扱わせるほど愚かではありません。この国々は立派な大国だ、192カ国を代表してふるまう権利がある、と決めたのは、われわれではないのです。
皆さんには、よく分かっているはずです。われわれが安保理決議を無視しているのは、決議がわれわれの不利に利用されるばかりで、拒否権を持つ常任理事国である大国の不利に利用されることはないからです。このような大国は、いかなる決議も決して自分の不利になるようには使いません。
決議は、われわれの不利になるように使われるのです。このような利用のせいで、国連は茶番となり、戦争や独立国の主権侵害を引き起こしてきました。戦争犯罪やジェノサイド(特定民族の大量殺害)にもつながりました。これはすべて、国連憲章違反です。
誰も国連安保理に注意を払わないので、各国や共同体は、それぞれ独自の安全保障委員会を設立し、国連安保理は孤立しました。
アフリカ連合は既に独自の平和・安全保障委員会を、欧州連合も安全保障委員会を設立しました。アジア諸国も既に独自の安全保障委員会を設置しており、まもなくラテンアメリカや120の非同盟諸国も、自前の安全保障委員会を持つ予定です。
これが意味するのは、われわれは既に、安全を保障してくれない国連安保理に対して信頼を失った、ということです。それが、地域ごとに新たな安全保障委員会が設立されている理由です。
われわれは、現在のかたちの国連安保理のルールや決議に従う気はありません。安保理は非民主的かつ独裁的で、不当だからです。われわれに安保理への加入や、今の構成の安保理による命令や決議の遵守を強制することは、誰にもできません。
さらに、国連に敬意が払われておらず、国連総会が重要視されていません。総会こそ真の国連ですが、その決議には拘束力がありません。国際司法機関である国際司法裁判所の決定は、小国や第三世界の国々だけをターゲットにしています。力の強い国々は同裁判所の通達を免れたり、不利な判決が下されても執行されなかったりです。
国際原子力機関(IAEA)は、重要な国連機関です。しかし力の強い国々は、IAEAに対する報告義務がなく、その権限が及びません。われわれは、IAEAがわれわれの不利になるようにだけ使われていることを発見しました。国際機関と言いますが、本当にそうなら、世界のすべての国に権限が及ぶはずです。真に国際的ではないのなら、このスピーチが終わったらすぐ、われわれはもはやIAEAを受け入れず、廃止するべきです。
トレキ氏は、総会議長という立場でIAEAのエルバラダイ事務総長と話し、すべての国で核エネルギーの保管状況を確認して、疑わしい増加のケースをすべて査察する用意があるか尋ねるべきです。エルバラダイ事務総長の答えがイエスなら、われわれはIAEAの権限を認めます。しかし彼が、特定の核保有国には権限が及ばないから行けないと言うなら、IAEAは廃止すべきで、その権限に従うべきではありません。
参考までに、リビアの核爆弾が問題になっていたとき、私はエルバラダイ氏に電話しました。エルバラダイ氏に電話して、大国間の核供給削減合意はIAEAの管理・査察の対象か、また、彼らの活動が活発化した例を知っているか、と尋ねたのです。彼は、自分は大国に査察を受けてほしいと頼む立場にない、と答えました。
ということは、IAEAはわれわれだけを査察しているでしょうか? もしそうなら、国際機関とは言えません。国連安保理や国際司法裁判所と同じく、対象を選んでいるからです。これは公平でも、国連的でもありません。われわれは断固、この状況に反対します。
アフリカの話に移ります。議長。国連が改革されるか否かにかかわらず、歴史的な提案の採択を待たずに、アフリカは今すぐ安保理常任理事の座を与えられるべきです。既に長く待ちすぎました。
国連改革は脇に置いても、アフリカが植民地化され、疎外され、迫害を受け、権利を奪われてきたのは確かです。アフリカの人々は奴隷にされて動物のように扱われ、領土は植民地化されて信託統治下に置かれました。アフリカ連合諸国は、常任理事の座を1つ与えられて当然です。これは支払わなくてはならない過去の負債であり、国連改革とは関係ありません。優先事項であり、総会の重要な議題です。アフリカ連合に常任理事の資格がないとは、誰も言えません。
誰がこの議案に異議を唱えられるでしょうか? どなたでも、反対できるものならしてください。アフリカ連合、アフリカ大陸に常任理事の資格はないという証拠が、どこにありますか? 誰も否定できないはずです。
もう1つ、総会で採決すべき問題があります。植民地化された国々への補償です。これは、1大陸が植民地化されて権利を侵害され、富を略奪されるという事態が再び起こるのを防ぐためです。
アフリカの人々は、なぜヨーロッパに行くのでしょう? アジアの人々は、なぜヨーロッパに行くのでしょう? ラテンアメリカの人々は、なぜヨーロッパに行くのでしょう? かつてヨーロッパがこれらの民族を植民地化し、アフリカやアジアやラテンアメリカの物的・人的資源 — 石油や鉱物、ウラン、金やダイヤモンド、果物、野菜、家畜、それに人間 — を盗んで利用したからです。今、新世代のアジア人、ラテンアメリカ人、アフリカ人たちが、盗まれた富を取り戻そうとしています。彼らには、その権利があります。
リビア国境で、私は先日、ヨーロッパに向かうアフリカ人移民1000人を呼び止めて、なぜ行くのかと尋ねました。彼らは、盗まれた富を取り返すためだ、でなければ行かない、と答えました。われわれから奪われた富を、誰が取り戻すことができるでしょう? もしあなたがたが、そうした富をすべて返還する決意をしたら、フィリピンやラテンアメリカやモーリシャスやインドからの移民はなくなります。われわれから盗まれた富を取り返しましょう。アフリカは、かつての宗主国から777兆ドルの補償を受けるのが当然です。アフリカ人はその金額を要求し、あなたがたが渡さなければ、その何兆ドルかが持ち去られた先へ行くでしょう。彼らには、そうする権利があります。彼らはその金を追いかけ、持ち帰らなくてはならないのです。
イタリアはリビアのすぐそばなのに、なぜイタリアにはリビア移民がいないのでしょう? イタリアは、リビア国民に補償という借りがありました。イタリアはその事実を受け入れてリビアとの合意に署名し、イタリア・リビア両国の議会がこれを受け入れたのです。イタリアは、リビアを植民地化したのは間違っていた、二度と繰り返してはならないと認め、陸からも空からも海からもリビア国民を攻撃しないと約束しました。また、今後20年間、年2億5000万ドルの賠償金を払うことや、病院を建てることにも同意しました。第二次大戦中にリビア領に仕掛けられた地雷で障害を負ったリビア人のための病院です。イタリアは謝罪し、二度と他国の領土を占領しないと約束しました。ファシスト政権時は王国であり、また、文明に多大な貢献をしてきたイタリアは、この英断を称賛されるべきです。やはりこの件に貢献したベルルスコーニ首相と、彼の前任者もです。
なぜ第三世界は補償を要求しているのでしょうか? 植民地主義がなくなるように — 賠償金を払わなければならないと知ることで、大国が植民地化を行わなくなるようにです。植民地主義は罰せねばなりません。植民地時代に他国民に損害を与えた国は、植民地支配下で与えた損害や苦痛に対して、賠償金を支払うべきです。
もう1つ指摘したい点があるのですが — デリケートな話題になります — その前に、ちょっと横道にそれたいと思います。われわれアフリカ人は、アフリカの息子がアメリカ合衆国大統領になったことを非常に嬉しく、誇りに思っています。これは歴史的な出来事です。かつては黒人がカフェやレストランで白人と交流することも、バスで白人の隣に座ることもできなかった国で、アメリカ国民はケニアの血を引く若い黒人オバマ氏を大統領に選出したのです。これは素晴らしいことで、われわれは誇りに思います。これは変化が始まるしるしです。しかし私が思うに、オバマは今後4年間か8年間だけの、一時的な慰めにすぎません。その後は、また振り出しに戻ってしまうのではないでしょうか。オバマ後のアメリカ政治がどうなるか、確かなことは誰にも言えません。
われわれとしては、オバマが永久にアメリカ合衆国大統領でいてくれれば満足です。彼がたった今話したことから分かるとおり、彼はこれまでわれわれが見てきたどの米大統領とも違います。これまでの米大統領は、“砂漠の嵐”だの“怒りの葡萄”だの“ローリング・サンダー”だの毒のバラだのをわれわれやリビアの子供たちに送りつけると言って、あらゆる武器でわれわれを威嚇しました。それが彼らのやり方だったのです。歴代の米大統領は、さまざまな作戦でわれわれを脅しました。ベトナムへ送った“ローリング・サンダー”、イラクへ送った“砂漠の嵐”。1956年にエジプトへ送った“マスケティアー”・・・これにはアメリカは反対しましたが。そして、レーガンがリビアの子供たちに送った毒のバラ。想像できますか? 安保理常任理事で拒否権を持つ大国の大統領なら、われわれを守り、平和を送ってくれそうなものです。なのに、実際にわれわれが受け取ったのは何だったでしょう? F-111戦闘機に搭載されたレーザー誘導爆弾です。これが彼らのやり方でした — お前たちの好むと好まざるとにかかわらず、わが国が世界をリードするのだ、はむかう者には誰であれ罰を与える、というものです。
われわれの息子オバマが今日述べたことは、それとは全く違います。彼は核軍縮を真剣に呼びかけました。われわれは、それに拍手を送ります。彼はまた、こうも言いました — アメリカ単独では、われわれが直面している諸問題は解決できない、世界が団結して解決に当たらなければならない。われわれは、もっと行動しなければいけない、今のようにスピーチをしているだけではダメだ、と。われわれも同感であり、拍手を送ります。彼は、われわれは語り合うために国連に来たのだと言いました。確かに、ここへ来たら、われわれは対等な立場で意思を伝えあうべきです。彼は、民主主義を外から押し付けるべきではない、とも言いました。米大統領は最近まで、イラクなどの国に民主主義を押し付けるべきだと言っていました。オバマは、それは内政問題だと言いました。彼は、民主主義を外から押し付けることはできないと言いましたが、それは真実です。
ですから、われわれは慎重でなくてはいけません。デリケートな話をする前に、世界には非常に多くの対立が存在することを強調しておきます。聞いてください。これほど多くの対立がある世界でいいのでしょうか? 諸国が対等な立場になるのは無理なのでしょうか? 答えてください。多くの対立がある世界の方がいいのかどうか、誰か答えを知っていますか? なぜわれわれは対等な立場になれないのでしょう? われわれは長老を持つべきでしょうか? 教皇を持つべきでしょうか? 神々を持つべきでしょうか?
なぜ世界には、これほど多くの対立があるのでしょう? われわれは、このような世界を拒否し、大と小が対等な世界を要求します。
もう1つデリケートな問題は、国連本部です。皆さん、よく聞いてください。皆さんは、大西洋や太平洋を渡ったり、あるいはアジア大陸やアフリカ大陸を横断したりして、この場にやって来ました。なぜでしょう? ここはエルサレムでしょうか? ヴァチカンでしょうか? メッカでしょうか? 皆さんは疲れ、時差ぼけにかかり、夜よく眠れません。非常に疲れて体調は最悪です。20時間も飛行機に乗って到着したばかりの者に、すぐスピーチでこの話をしろ、などと言うことも起こります。
皆さんは全員、眠いし疲れています。長旅を余儀なくされたせいで、明らかに元気が足りません。なぜわれわれは、こんなことをするのでしょうか? われわれの中には、自国は夜で国民は眠っている、という者もいます。そういう人は今、本当は眠っているべきです。体内時計も頭も、この時間帯に眠ることになじんでいるからです。私はニューヨーク時間の4時、夜明け前に目が覚めます。リビアでは午前11時だからです。昼間の11時に目覚めるはずなのに、4時に目覚めてしまうのです。
なぜでしょう? 考えてみてください。1945年に決まったことを、今後も維持するべきでしょうか? なぜ中間にあって楽な場所を考えないのですか?
もう1つ重要な点は、主催国であるアメリカが、国連本部や外交使節団の費用を負担し、ここを訪れる各国首脳の平安と安全に配慮している、ということです。彼らは非常に厳格です。彼らは大金を使っており、ニューヨークもアメリカ全体も、非常に窮屈です。
私はアメリカを、この苦労から解放したいと思います。われわれはアメリカに感謝すべきです。われわれはアメリカに対し、今まで大変なことを引き受けてくれたことに礼を言います。アメリカに、ありがとうと言います。われわれはアメリカとニューヨークに、安心し、落ち着いてほしいのです。安全対策の責任を、彼らに負わせるべきではありません。もしかすると、テロリストが爆発を起すか、大統領に爆弾を投げつけるとかいうことも、いつか起こるかもしれません。この場所はアルカイダの標的になっています。まさにこの建物が、です。なぜ9月11日に攻撃されなかったのでしょうか? 彼らの力が及ばなかったからです。次の標的は、このビルでしょう。軽々しく言っているのではありません。リビアの刑務所には何十人もアルカイダのメンバーがいます。彼らの告白は非常に恐ろしいものです。だからアメリカは緊張の中で暮らしているのです。何が起こるか分かりません。アメリカか、あるいはこの場所が、再びロケット弾の標的になるかもしれません。国家首脳が何十人も死ぬかもしれません。われわれはアメリカを、そうした不安から解放したいのです。この場所を、標的にされない所へ移しましょう。
50年経ったら、国連本部は別の場所に移すべきです。50年間西半球に置いたら、次の50年間は東半球か中央半球に置くというように、順番に変えるべきです。64年間年経っているので、50年を14年間超過しています。本部は14年前にどこかへ移転すべきでした。
アメリカを侮辱しているのではなく、アメリカのためを思って言っているのです。われわれはアメリカに感謝すべきです。これは1945年には可能でしたが、今は受け入れるべきではありません。もちろん、総会で採決すべきです。総会でなくてはいけません。本部合意の第23条に、「国連本部は総会決議によってのみ他所に移転できる」とあるからです。総会の51%が賛成すれば、本部を移転できます。
アメリカには、警備を厳しくする権利があります。テロリストやアルカイダの標的になっているからです。アメリカには、あらゆる警備手段を取る権利があります。そのことでアメリカを責める気はありません。しかしわれわれは、そうした手段を許容できません。ニューヨークまで来て、そうした対策の対象になるのはご免です。ある首脳から聞いた話では、彼の副操縦士はニューヨークに来てはいけない、規制があるから、と言われたそうです。彼は、副操縦士抜きでどうやって太平洋を渡ればいいのだ、と訊きました。なぜでしょう? 彼は、ここに来る必要はないのです。別の首脳は、儀仗兵を連れて来られなかったと嘆いていました。ビザを取るときに、その儀仗兵の名前をめぐって誤解があったからだそうです。また別の首脳は、主治医がビザを取れず、アメリカに来られなかったと言いました。
警備手段は非常に厳しいものです。アメリカとの間に少しでもトラブルがある国は、使節団のメンバーの移動も制限を受けます。まるでグアンタナモにいるようです。自由な移動が許されないのでは、国連のメンバーだかグアンタナモ基地の捕虜だか分かりません。
これが、採決を求めて総会に提出された議案です — 51%の賛成で国連本部を移転すること。その後、2度目の採決で、移転先は地球の真ん中か東側かを決めます。もし本部は半球の中央に移転する、ということになれば、移転先はシルテかウィーンでどうでしょう? ビザなしで行くことすらできます。首脳として訪問するなら、リビアは安全な国です。皆さんを100メートルや500メートルに制限したりしません。リビアは誰に対しても敵対的行動をとっていません。同じことがウィーンについても言えると思います。
もし採決で移転先は東半球と決まれば、デリーか北京、インドの首都か中国の首都になるでしょう。
それが理にかなっているのです、兄弟たちよ。反対は出ないと思います。そうなれば皆さんは、14時間も15時間も20時間も飛行機に乗ってここへ来る苦痛と手間を省いてくれたと、提案者の私に感謝するでしょう。誰もアメリカを責められないし、アメリカの国連に対する貢献が減るだろうとも言えません。そんな悪い考えは、誰も持つべきではありません。アメリカには国際的な義務を果たす決意があると、私は確信しています。アメリカは腹を立てたりしません。苦労を軽減してくれた、ここはテロリストの標的になっているのに苦労や制限を肩代わりしてくれた、と皆さんに感謝するでしょう。
次は、総会で審議される諸問題です。これから、国連に厳しいことを言います。古い組織は終わり、新たな組織が現れるでしょう。これは普通の会合ではありません。息子オバマも、これは普通の会合ではないと言いました。これは歴史的な会合です。
国連設立後に起きた戦争は、なぜ起こったのでしょうか? 安保理は、憲章は、国連は、どこにいたのでしょうか? 調査と司法介入を行うべきです。虐殺は、なぜ起きたのでしょうか? 朝鮮戦争から始めましょう。国連設立後に起きたからです。戦争はどのように勃発し、何百万もの犠牲者を出したのでしょうか? あの戦争では、核兵器が使われる可能性もありました。戦争開始に責任のある者たちは、裁きを受けて損害を賠償し、補償金を支払うべきです。
次は1956年のスエズ運河を巡る戦争です。このファイルは大きく開くべきです。拒否権を持つ安保理常任理事国3カ国が、総会のメンバーである1国を攻撃したのです。主権国家 — エジプト — が攻撃を受け、軍隊は壊滅させられ、何千人ものエジプト人が死に、多数の街や施設が破壊されました。エジプトがスエズ運河の国有化を望んだからです。国際連合と国連憲章の時代に、なぜこんなことが起こり得たのでしょう? 過去の過ちを正さなければ、こんなことが繰り返されないことをどうして保証できるでしょう? これらは危険な事件であり、スエズ運河と朝鮮戦争のファイルを改めて開くべきです。
次はベトナム戦争です。この戦争では、300万人の犠牲者が出ました。12日間で、第二次大戦の4年間より多くの爆弾が投下された、激しい戦争でした。国連が設立され、もう戦争は起さないとわれわれが決心した後で起こったのです。
人類の未来がかかっています。われわれは、沈黙しているわけにはいきません。どうして安全な気持ちになれるでしょう? どうして自己満足に陥っていられるでしょう? これは世界の未来の問題であり、国連総会に参加しているわれわれは、今後このような戦争が決して繰り返されないようにしなくてはなりません。
それから、パナマも攻撃されました。総会メンバーの独立国なのにです。4000人が死に、大統領は捕らえられて投獄されました。ノリエガは釈放されるべきだし、われわれは、このファイルも開くべきです。他国に戦争を仕掛けて大統領を捕らえ、犯罪者扱いして監獄に入れる権利を国連総会のメンバー国に与えるなどということが、どうしてできるのでしょう? そんなことを誰が認めるでしょうか? 同じことが繰り返されないとも限りません。われわれは、黙っているべきではありません。調査を行うべきです。われわれ加盟国すべてが、同じ状況に直面する可能性があります。このような侵略が、世界の平和と安全を守る責任を負った安保理の常任理事国によって行われるなら、なおさらです。
それから、グレナダでも戦争がありました。加盟国なのに侵略されたのです。世界最小の国が、5000隻の戦艦、7000の兵士、数十機の軍用機に攻撃されたのです。これも国連と、拒否権を持つ安保理が設立された後に起きました。グレナダ大統領モーリス・ビショップ氏は暗殺されました。どうしてそんなことが起き、誰も処罰されなかったのでしょう? これは悲劇です。国連が善か否か、ある国が善か否か、どうすれば保証できるでしょう? われわれは、われわれの将来について安心かつ満足できるでしょうか? われわれは安保理を信頼できるでしょうか? 国連を信頼できるでしょうか?
ソマリア爆撃についても調査しなくてはいけません。ソマリアは国連加盟国で、アイディードを首長とする独立国でした。われわれは調査を望みます。なぜ、あんなことが起こったのでしょうか? 誰が許したのでしょうか? ソマリア攻撃に許可を出したのは誰なのでしょうか?
旧ユーゴスラビアのこともあります。ユーゴほど平和な国はありませんでした。ヒトラーに破壊された後、少しずつ着実に再建された国です。われわれはそれを、まるでヒトラーと同じことをするかのように破壊しました。われわれは、チトーが少しずつ着実に築いた平和な国へ行き、帝国主義的かつ私的な利益のために壊したのです。われわれはこのことについて、どうしてのうのうとしていられるでしょう? われわれは、なぜ満足できないのでしょうか? ユーゴのような平和的な国がこのような悲劇に見舞われたのだから、国連総会が調査して、誰を国際刑事裁判所で裁判にかけるか決めるべきです。
それから諸悪の根源、イラク戦争のこともあります。国連は、これも調査すべきです。トレキ氏が議長を務める国連総会で調査すべきです。イラク侵攻は国連憲章に違反していました。安保理常任理事である複数の大国が、正当な理由なく行ったのです。イラクは独立国であり、加盟国です。どうして諸国はイラクを攻撃できたのでしょうか? 国連憲章で決められているとおり、国連が介入して攻撃をやめさせるべきでした。
われわれは国連総会で演説し、憲章を駆使してその攻撃をやめさせようと訴えました。われわれはクウェート侵攻に反対し、アラブ諸国は国連憲章の名の下に、諸外国と共にイラクと戦いました。
1回目は国連憲章が尊重されました。しかし2回目は、われわれは憲章を駆使して対イラク戦争をやめさせたいと願いましたが、憲章は誰からも駆使されずに無視されました。なぜ、そんなことになったのでしょう? トレキ氏と総会は、イラクを侵攻しなければならない理由が1つでもあったのかどうか調査するべきです。あの侵攻の理由は謎で、曖昧なままになっており、われわれも同じ運命に見舞われないとも限らないからです。
イラクはなぜ侵攻を受けたのでしょう? 侵攻自体も深刻な国連憲章違反で、間違ったことでした。大規模な殺戮つまりジェノサイドも起こり、150万以上のイラク人が殺されました。われわれはイラクのファイルを国際刑事裁判所(ICC)に持ち込み、多数のイラク国民を殺害した犯人を裁判にかけることを望みます。
チャールズ・テイラーやバシールやノリエガを裁判にかけるのは簡単です。それは容易なことです。しかし、イラク国民に対して大量殺人を犯した者はどうでしょう? 彼らを裁判にかけることは、できないのでしょうか? ICCに引き出せないのでしょうか? ICCがわれわれに応えられないのなら、われわれはICCを受け入れるべきではありません。ICCは、大国小国を問わず、われわれ全員のためにあるはずの機関です。そうでないなら、われわれはICCを受け入れず、拒否すべきです。
戦争犯罪を犯す者は誰であれ、裁判にかけることが可能です。しかしわれわれは、イード(断食明けの祭り)のために屠られる家畜や動物ではありません。われわれは生きる権利を持ち、自分を守るために戦う覚悟があります。太陽の下、地に足をつけ、尊厳をもって生きる権利があるのです。彼らはわれわれに試練を与えましたが、われわれはその試練に耐えました。
ほかにもあります。イラク人戦争捕虜に死刑を宣告することができるのは、なぜでしょう? イラクが侵攻を受けたとき捕まったイラク大統領は、戦争捕虜です。裁判にかけるべきでも、絞首刑に処すでもありませんでした。戦争が終わったら解放すべきだったのです。われわれは、なぜ戦争捕虜が裁判にかけられたのか知りたいと思います。誰がイラク大統領に死刑判決を下したのでしょう? こ
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